鶏が先か、卵が先か
セラピストがいるから体調悪い人が存在するのか
占星術師がいるから人生に迷ってる人が存在するのか
医者がいるから病気の人が存在するのか
癒そうとする人がいるから癒やされてない人が存在するのか
ヒーリング、セラピー、心理療法、自然療法などを学んでいた時
ずっとこの問いは自分の中にありました。
あの人おかしいよね
あの人元気ないよね
それって病気だよね
そうやって判断したとたんに
おかしな人や病気の人が出来上がる。
「それって◯◯じゃない?」
と指摘したとたんに、その人はその言葉にとらわれる。
暗示にかかる。
呪いにかかる。
そして、それを改善しようとする。
それがダメなことという前提がないと
改善しようという考えなんて浮かばない。
周りの人の言葉、メディアから流れてくること。
鵜呑みにしないと言われても
なぜかフッと、とらわれてしまうことがある。
目に見えないものを扱う時
扱う人がどういう状態なのか
とても大切になってくる。
だからいつも自分を律して
柔軟さと軸を持つこと。
相手を判断しないこと。
相手への尊敬。
心ない人に判断され、
自分が見えなくなった人を
本来のその人に導く役目が
セラピスト、ヒーラー、占星術師など
目に見えないものを扱う人なんだろうと思う。