中庸への通過儀礼
宇宙と同じく、中庸という言葉もずいぶん使われるようになりました。
この、中庸って本当に大事だなと思うし、うっかりするとずれてしまう。
無感動とも違うし、無理矢理中庸に持って行くようなものでもないし。
この、真ん中へいられるようになるには、やっぱり左右にがっつりブレてみないとわからないのかも知れない…と思ったりする。
意識が広がっていく最中、知らず知らずのうちに上から目線になってしまう現象が誰にでも起こるんじゃないかなと思ってたりします。
今までのちっぽけな自分が汚らわしく思えて、そうなってしまうのかも。
だから、まだ気が付いてない人達を見て、非難したりバカにしたり押し付けたり。
身体にいいものを使ってないと意識が低いだとか、優劣をつけたがったり
ちょっとかじっただけのくせに知った風に言ってほしくないだとか。
完全に上から目線。
でも、そうなってしまうのは、今までの自分を受け入れ切れてないからなんじゃないかなと思う。
だから仕方ないというか、通過儀礼というか。
さらに次の現象として、そういう上から目線の人がいると、愚かだった自分を見てるようでモヤモヤしてしまって、それを非難してしまったり。
それも通過儀礼。
それを過ぎると、どっちでもいい境地がやってくる。
どんな人だって愛おしいような、すごいなって思えるような…
平坦な気持ちで見守ることができるようになる。
どんな人間もOK。
自分も未熟だし、みんな未熟。
だから地球にいるんだもんね。
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